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宗教法人 梅田神明宮

東京都 足立区 梅田6-19-4




 書道教室



 井上正鐵霊神ご夫妻



  禊教(みそぎきょう)は、井上正鐡(いのうえまさがね)(一七九〇〜一八四九)によって、天保十一年(一八四〇)に開かれた神道系の宗教活動で、神道の伝統・呼吸法の体得・粗衣粗食の生活習慣を教義の基本とします。

 教祖井上正鐡は、山形藩士の子として寛政二年(一七九〇)に江戸日本橋浜町の秋元家中屋敷でお生まれになり、医学や観相学を学ばれ、独自の境地に至ったのち、白川家に入門して神拝式許状を授かり、梅田神明宮の神主となられました。

そして、
「天照太神」の「お誓い」を奉じて「祓修行」を行ずるならば、誰もが「信心」という救済の核心を把握できるとする民衆教化の活動を、この梅田神明宮で実践されたのです。

教祖の教えは民衆に広まり、貧しい者や富める者、また農民から有力幕臣まで、身分を越えて多くの人々が入門しましたが、やがて幕府の嫌疑を招くこととなってしまいました。

梅田神明宮で開教されて二年後、ついに寺社奉行による取り締まりを受け、教祖は三宅島へ遠島となってしまいました。そして三宅島における約六年間の教導生活ののち、嘉永二年(一八四九)に、六十歳でその地で生涯を終えられたのです。

教祖自ら執筆された寺社奉行への弁明書『唯一問答書』と、三宅島から弟子たちに宛てた書簡約二百通が残されて教典となっています。





祖雨乞いの像



教祖は三宅島にて、日照りに苦しむ島民から降雨祈願を求められ、実際に祈祷を行ったところ、恵みの雨がもたらされました。

この絵は、明治二十一年一月、市村座の改築開業公演の際に、「新開場梅田神垣(しんかいじょううめだかみがき)」という演目の中で、劇聖九代目市川団十郎が演じた、三宅島泉津山での教祖雨乞いの像です。

明治二十三年四月十八日深川禊教会社中より献納。




谷中霊園の教祖奥都城 谷中霊園(東京都台東区)の教祖奥都城。
教祖の父、安藤真鐵(あんどうまがね)と共に眠る。

毎年十月十八日に、禊教教祖谷中奥都城墓前祭が執り行われます。









梅田稲荷神社の教祖奥都城 梅田稲荷神社(東京都足立区)の教祖奥都城。
教祖の妻、男也(おなり)、高弟たちともに眠る。

毎年旧暦の二月十八日に、禊教教祖梅田奥都城墓前祭が執り行われます。



※教祖奥都城は谷中、梅田、三宅島の三箇所に分かれて存在しています。



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